拝啓 旅行前夜の僕へ

 

今日の東京の最高気温、26.7℃。

玄関のドアを開けた瞬間の匂いはあまりにも夏に接近していて、皮膚にまとわりつくあの熱気は、何度夏を経験しても慣れることはありません。

そんな空気にあてられて、ふと、ある五日間のことを思い出しました。それは、自分ひとりで旅行をしたひと夏の記憶であり、自分は同性が好きであるという確信を深めていった戦いの五日間でもありました。

 

 

大学二年生の夏、僕は悩んでいました。それは、自分が同性を好きであると気付くか気付かないかという時期の真っ只中で、もっと正確にいうと、自分が同性を好きであるという事実を、事実として認める準備をしていた時期でした。

その頃の僕は、自分のセクシュアリティを認めようとしては傷つき、失敗し、全てが何かの嘘であってくれればいいのにと願いながら眠り、絶望しながら目を覚ましていたように思います。

そんな日々が数ヶ月続いて精神も磨耗し、このまま自分の部屋で考え続けてもしょうがないと思ったのか、僕はひとり旅に出ることを決意しました。時間だけはあったので、「青春18きっぷ」という、JR鈍行列車の五日間フリーパスみたいなものを利用し、ひとり旅に出たという経緯です。

 

今思うと、自分の性的指向に気づくために旅に出る必要があるというのは何だか大げさにも見えるわけですが、当時の僕は、誰も僕のことを知らない場所に行って、僕が僕自身の一番近くに居られるような時間を持てば何か見えてくるものがあるんじゃないかと、半ばすがるような気持ちだったのだと思います。

なるべくスマホを見ないようにするためにわざわざ旅行のしおりを作って印刷し、スマホと着替えとフィルムカメラと文庫本とイヤホン(しかも聴く曲はスピッツ)だけ持っていくという、なんというか「THE自分探し」みたいな旅行で、文字にすると少し恥ずかしいのですが、別にやっちゃダメなわけではないもんね。

 

今になって旅行のしおりを見返してみると、何やら「旅行の目的」なるページをわざわざ律儀に作っており、そこにはこんなことが書かれていました。


・・・二つ目の目的は「一人でゆっくり時間を過ごす」ためです。最近のネット社会、常に何かと繋がっている、いわば繋がり過剰の中に僕はいます。正直疲れる時もある。今回は極力そのようなものから離れて、孤独になってみたいのです。ゆっくりと時が過ぎるのを一人で噛み締めたいのです。そうして初めて見えることもたくさんあるように思えるように思います。

・・・四つ目の目的は「自分と向き合う」ためです。僕は今悩んでいます。人生に絶望さえしています。いつまでも向き合えなかったら、きっとこの先の人生だってこのまま生きていくことでしょう。一人きり、あらゆる繋がりから解放されて、ゆっくりと静かな自然に囲まれて過ごす時間は、自分と向き合うには絶好の機会ではないでしょうか。旅行を終えた僕が、悩みから一歩抜け出していることを願っています。

 

誰も読まないのに、謎に敬語なしおりの文体がなんだか健気だなと思うけれど、きっとこの旅行の目的も、そして悩んでいることすらも、当時は誰にも話せなかったんだろうなと想像すると、かしこまった文体にする気持ちもなんとなくわかります。
きっとこの文章は当時の僕にとって、いつかの未来の自分に向けた手紙のようなもので、暗がりの中から手探りでかき集めてきた淡い希望をなんとか言葉にしていたのだと思うわけです。

だから今回はこの手紙に、五年後の僕から、読まれないからこそ書ける返事を送りたいと思います。
ありえないほどに個人的なお返事なので書く意味も公開する意味も自己満足以外にないですのが、巡り巡って、似たような状況にいる誰かのもとに届くことを半分願いながら、ネット上に放流します。

 

 

その前に、せっかくなので旅行の写真を少しだけお裾分け。

 

 

 

 

 

 

 

-------------

 

旅行前夜の僕へ

 

こんばんは。

単刀直入に申し上げると、残念ながら、一人旅をしただけではあなたの悩みが完全になくなることはありません。むしろあなたは旅の途中で、これまで目をそらし続けてきた「自分は同性が好きである」という事実の否定しようのなさに直面します。

 

けれどあなたはこの旅を終える頃、同性愛者であることを受け入れるかどうか、という悩みから一歩踏み出して、自分が同性愛者であることを認め、そしてこれからどのように生きていくかを悩むように変わっています。

それは相変わらず(もしくはもっと)苦しい道かもしれないけれど、あなたはようやく、自分自身の手を離さずにいられるようになる。もう、自分の中のか細い声を無かったことにしたり、その声をかき消すために雑音の中にあえて身を置くようなことをしなくなる。

あなたがこの旅行中に気づいた悩みに僕は今も度々悩まされているけれど、それでも、気づいてくれてよかった。

 

ゲイだと気付きたくないから見ないようにしようとしていたBL漫画もBLドラマも、好きなだけ見ることができるようになるよ。当分の間は、見ているということを周りの友達に言えない期間が続くけれど、それもかならず終わりが来ます。今の僕には推しの作家もいるし、それについて語り合える友達も、それについて話を聞いてくれる友達も大勢います。

だから、どうか一人じゃないと知って欲しい。今は暗くて周りもよく見えない場所を歩いているように感じていると思うけど、じきにあなたは、同じ道を歩いている/歩いてきた他者を見つけ、その息遣いや体温を感じることができるようになる。それが、光が差し込んだからなのか、単に暗闇に目が慣れたからなのかは、今の僕にもわからないけれど。

と言いつつ、一人だと感じた時期があったことは、やっぱりよかったのかもしれない。人は孤独なのだということを痛いほどにわかったあなただから、他者とともにあることの尊さを、愛のまぶしさを知るようになる。愛が何かは相変わらずわからない毎日ですが、それが時間をかけて探求するに値するものであるということを、僕はまだ忘れていません。

 

同性愛者である自分とともに生きていくことを引き受けた一九才のあなたは、これから何度も打ちのめされるかもしれない。今よりたくさん涙を流す日があるだろうし、眠れない夜だって訪れる。

けれど、そんな夜があったから出会うことができた他者がいて、飲み込んだ悔しさがあったから心を震わせることができた言葉や音楽があって、消えない傷ができたから寄り添いたいと願うことができた他者の痛みがあります。

 

正直、五年経った今でも、性的マイノリティに対する社会の整備は道半ばです。まだ同性婚もできないし、日常の些細な場面で多くの偏見や心無い言葉にも出くわします。

けれど、五年後のあなたは、そんな社会のあり方を「違う」と言い続けられる強さを持っている。落ち込んだとしても、その度にゆっくりと立ち上がれる人間になっている。

一緒に怒って、悩んで、悲しんで、立ち上がってくれる仲間たちが、道を切り拓いてくれた先人たちが、そのままの自分を愛してくれる人たち(みんなじゃないけれど)が、僕の愛をそのまま受け止めてくれる人たちがこの世にいると、何度でも言います。

 

あなたは悩みながら、それでも少なくとも五年後まで生き延びられているし、これからも生きたいと思える人生を歩めているよ。(そうとは思えない世間の風当たりもあるけれど、今だけは少し見栄を張らせてください。)

だから、どうか後のことは旅行終わりの自分に任せて、旅先でお腹いっぱいご飯を食べて、たくさん歩き疲れて、目の前の気持ちに真摯に向き合って、そしてぐっすり眠ってください。今あなたの頭を悩ませている三日目の雨予報も晴れになるよ。

 

長くなりましたが、このあたりで。
明日は友達とプライドフェスティバルに行く予定なので、その準備をしてくるね。
少し緊張するけど、楽しみです。何着て行こうかな。

 

プライドフェスティバル前夜の僕より
(追伸:今好きな人のこと、これから五年間ずっと好きだから頑張って。)

 

 

-------------

 

 

ここまで読んでくれた心優しい皆様に、最後に一つだけ。

 

この手紙をネット上で公開できると思えたのは、僕に多くの特権があるからです。

この内容を書いたら日常生活が危うくなってしまうんじゃないかと感じたり、自分のセクシュアリティについて考える余裕も、考えるための手がかりもないという人はきっと大勢いるのだと思います。

今この文章を書けていることに至るまでの数多くの特権を自覚し、全ての異なる状況に置かれているクィアの人々が安心して生きていける日が来ることを願いながら、プライドフェスティバル、行ってきます。