「おっさんずラブ」に感情を引き裂かれているゲイの断末魔



人には感情を引き裂かれる瞬間というものがある。何かを大事にしたいのに、それを大事にすることが別の何かを傷つけてしまいそうなとき。何かのことがたまらなく好きなのに、それが同時に自分を傷つけてしまう棘を持っているとき。

 

僕にとってそれは「おっさんずラブ」である。

田中圭演じる春田創一と、林遣都演じる牧凌太、そして吉田鋼太郎演じる黒澤部長の三角関係をメインに据えながら、個性豊かな周りの人々を描くラブストーリーで、シーズン1放送時には話題を席巻した超人気作であるところの「おっさんずラブ」。それに僕は、いま、現在進行形で、感情を引き裂かれている。

 

思えば僕がゲイであることを自認し、それを一人で抱え込んでいた数年前、「おっさんずラブ」の存在は大きな光のようなものだった。

 

シーズン1の放送当時、もうなんか・・・春田・・・お前は罪なノンケ野郎・・・牧・・・お前は・・・お前は俺だ・・・(当時僕がノンケに大恋愛をしていたため)部長・・・わかる・・・愛を伝えることは大胆なのに、相手の気持ちを聞くことには臆病になるんだよね・・・ちず・・・あんたは絶対に幸せになりなさいね・・・武川・・・あんたちゃんと悲しんでる?ちゃんと泣いてる?・・・蝶子・・・あんたは「大人じゃない私」でいられる相手と一緒にいなさいね・・・ていうかRevivalとかいう曲良すぎる・・・「君に会いたいな」じゃないんだよ、お前が会いに行くんだよ!!!!!でも会いに行けないから、せめて会いたいなって言葉にするんだよね・・・

などとありえない量の感情が心をかき乱し、何も手をつけられず、、、

 

しかしながら、当時僕はほとんど誰にもカミングアウトをしていなかったため、ゲイバレを恐れて誰にも話すことができず、時たまツイッターで呻き声のようなものをあげては同級生に心配される(しかし呻き声の源泉を話すことはできない)という日々を送っていました。別垢作ればいいじゃんというツッコミはお控えください。

また当時ノンケに永遠に恋をしていた可愛い僕は、このおっさんずラブの牧の姿を見ながら、「だからやめろって言ったじゃん」と「ねえ、ウチもノンケに希望を託してもいいのかな・・・?」の反復横跳びを繰り返しながら、牧という存在が、僕の大恋愛を彩ってくれたのでした。まあ振られましたけどね、本当にいい加減にして

 

続いて2019年の夏、劇場版が公開されると飛ぶように映画館に行き、まずは一人で一回鑑賞し、大号泣。(しかし相変わらず感想を人に話すことはできない。)

あのさ・・・あの橋の上で牧が春田の髪についた芋けんぴとるシーンでさ・・・春田ってキスチャンスだと思って、牧の唇を見てるんだよね・・・・・・・。 急に何?

※2024/1/9 1:58 追記:
芋けんぴ」と書いておりましたが、正しくは「きんぴらゴボウ」でした。訂正しお詫び申し上げます。どこで間違えとんねん

 

で、なんと応援上演にも行ったのです。僕が応援上演に行ってファンの声援を聞いて号泣して話については、なぜか漫画家の伊藤正臣さんが漫画にしてくださっていますのでよろしければご覧下さい。(ほんとうにありがとうございます)

 

 

とにかくさあ!!!!!!!!!牧!!!!!!!お前は幸せになれ!!!!!!!!!僕が幸せにしてやりたいところだが、春田と幸せを作り出すお前を見たいんだよな

 

その後in the skyも見ましたが、なんかずっと「牧がいない・・・・・・・・・・・」という気持ちであまり感情を乗せることができず、もうあの「おっさんずラブ」には戻れないんだろうな・・・と諦めていたその時・・・「おっさんずラブリターンズ」発表。

 

あの牧が帰ってくるの・・・?と放送まで信じられなかったのですが、当日ドラマで「ただいま」という声を聞いた時なんかマジで号泣してしまい、おかえりいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!って叫んだよね。あんたが幸せになるのを見に来たからねウチは・・・・・・てか仕事忙しすぎない?ご飯とかちゃんと食べなさいね・・・

春田と牧を現在進行形で見られる幸せ・・・おっさんずラブのまだ見ていないエピソードがあるという贅沢・・・

 

てか、本当に、リターンズも、良すぎる・・・。

春田・・・お前、牧の前ではそんな声を出すのね・・・牧・・・お前、春田の前ではそんな表情ができるようになったのね・・・黒澤・・・あんた他の人に代行代わってもらえばいいと思うけど、ウチがあんただったら、ウチも続けちゃうと思う・・・ちず・・・あんたの子供は絶対立派に育つよ・・・社会よもっとシングルマザーに優しい社会になりなさいね本当に・・・武川・・・マッチングアプリは複数並行の方がいいから、ウチのオススメのアプリ教えたげるね・・・蝶子・・・あんた、かわいいよ・・・てかLoving songも良すぎる・・・王道ラブソングすぎてこんなのチャゲアスじゃん・・・前奏のメロウで重みのあるメロディーに、二人の愛の重みが出すぎている・・・あと現在進行形なのがいい

あとさァ!!!!!!!!ダブルフードの春田ってなんであんなにかわいいの(ブチギレ)。スタイリストにボーナス200億円あげてください

 

変わらぬ二人の痴話喧嘩のかたわら、僕自身には大きな変化が。誰にも感想を話せなかったシーズン1と違い、僕はもうカミングアウトをして、ツイッターでも感想をたくさん言えるようになったし、こうやってブログも書けている。

春田のことを好きって言えなかった牧が好きだと言えるようになった姿と、おっさんずラブのことを好きって言えなかった自分が好きだと言えるようなった今を重ねて、今もふつうに泣きそうで、誇張なしで、生きていてよかった・・・・・・・・・・・。頑張って生きていると、好きなものを好きって言える日が来るんだよ・・・・・・・・・。

あと昔好きだったノンケとは劇場版とリターンズの間で縁を切りまして、今は彼氏がいるので、おっさんずラブを見る視点も変わっているようで謎の感慨深さを感じています。シーズン1の時の自分に「おっさんずラブの続きが見れるし、その時には彼氏もできてるから・・・あんたは今の恋愛に安心して集中しなさいね・・・振られるけど・・・」て言ってあげたい。

 

もうね、ほんとうに、僕の人生に「おっさんずラブ」があってくれて、ありがとうございます・・・・・・・・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

これでこのブログが終わったらどんなに幸せだったことか。

 

そう、引き裂かれていると冒頭に申し上げた通り、「おっさんずラブ」を諸手を挙げて好きと言えない事情がありまして。

むしろ、好きだからこそ、悲しく思ってしまうことがありまして。

 

おっさんずラブのこと、諸手を挙げて好きって思えている人が今いるのであれば、どうかその方にこそ、僕の感じているモヤモヤを聞いて欲しいのです。

そんなの気にせず楽しめばいいじゃんってツッコミはやめてね!!!そんなの僕が一番気にせずに楽しみたいと願っているので!!!!(ハチャメチャな感情)

※あと、特定のファンの方を批判しているわけではありませんので!!!!その辺りはご理解いただけると幸いです・・・・

 

まず「結婚」という言葉について。

僕が一番気にしているのは、直近のシーズン2で使われる「結婚」なるものが何を指しているかが(少なくとも現時点では)定かではないという点です。

コロナなどを経ていることからおそらく現代の日本と同じ状況であると思われますが、おっさんずラブの世界でも同性婚ができている気配はありません。
(ふうふ同姓制度のもとでは、仮に同性婚ができていれば、名字に関する言及などもおそらくあるだろうし・・・多分。) ※記事末に、作中での同性婚可否状況についての言及を追記しておりますので、あわせてご覧ください。

まだまだ男同士の恋愛に対して世間の目を気にしている描写が見られることから、おそらく世間の制約もなくなってはいないであろうと思われます。(春田と牧が手を繋ぐシーンも、決まって周りに人がほとんどいないシーンか、あるいは祭りの混雑の中など世間の目が気にならない場所になっている。)

 

にもかかわらず、春田と牧が同棲を開始したタイミングを「新婚初夜」と表現し、宣伝や記者会見などでも「結婚」の表記が見られている。結婚式や結婚指輪などのモチーフを用いていることからも、結婚を連想させることを意図していると思われます。

あくまでわかりやすさのための表現として「結婚」という言葉を使っているのだ、という擁護がありうるかもしれないが、だとしてもよくない。

個々のカップルによって何を「結婚」とするかはもちろん自由でいい。けれども、「おっさんずラブ」という同性間の恋愛を扱ったドラマで無邪気に「結婚」という言葉を使うことは、現実の同性婚ができない今の状況を不可視化させることに繋がりうるのではなかろうかと思うし、あまりにも現実を無視してしまっている点で不誠実ではないかと思ってしまう。

現実の世界において、どれだけ願っても結婚をすることができない(=法律婚による制度上の恩恵から排除される)カップル(おそらく春田と牧も含む)が多くいる中で、そんなに簡単に「結婚」という言葉を使ってしまっていいんですか、ファンたちに軽率に「結婚」という言葉を使わせていいんですか、とモヤモヤするわけです。

けっして、必ずしも春田と牧の日常を悲しく描けと言っているわけではないし、絶対に同性婚賛成のために何かアクションを起こさないとダメだ!と言っている訳ではありません(やってくれたら嬉しいし、アクションがないと消費だという批判は免れないと思いますが)。ただ、少なくとも結婚ができない現状において、「結婚」という言葉を使うことがあまりにもナイーブすぎるのではないかと・・・申し上げております・・・。

 

春田と牧が幸せそうな姿を見るのは嬉しいはずなのに、たとえば今僕と彼氏が結婚できないこの世界で、なんでこんな風に軽々しく(よりによって公式から)「結婚」という言葉が飛び交っているかがわからなくて悲しい。おっさんずラブに背負わせすぎだという反論もあるかもしれませんが、今の不平等な構造でそこをスルーしてしまえるのって何でなんだろうとわかりかねています。

 

 

そこに繋がる話としてもう一つだけお話しさせてください。

春田を演じる田中圭は以前「おっさんずラブ」の記事の中で、「春田はゲイじゃない。ただ、相手が“牧だから”好きになったんです」と語っています。この発言は、あえてゲイでない、人間どうしの愛なのだと語る点において蔑視とも取れるという批判もありますが、一旦その批判を脇に置くとしても、ある一つの設定上のモヤモヤを感じてしまうのです。

これはあくまで、BLジャンルの描き方において一部で見られていた話なので、おっさんずラブだけで背負うべき話ではないという前提付きなのですが、日本で人気になっているBL作品の多く(主語デカ)はとにかくセクシュアリティに関する言及を避ける。要するに男同士で付き合っているという関係性については言及しても、当人の性的指向については語られない。もっと悪くいうと、関係性や、あくまで関係性の中にいるキャラクターを重視して「消費」しているようにすら見えてしまう。

 

現実世界でも、ヘテロセクシャルを自認していた人があるきっかけで特定の男性のことを好きになることはあるだろうが、男性同士で恋愛している人のほとんどはヘテロセクシャルでない性的指向を自認する人同士がほとんどだと思います。にもかかわらず、なぜかその比率がドラマだと圧倒的に少なくなる。この問題の構造は大変根深いのであまり語れないのですが、この状況をひとことで言うと、日本のBLドラマの一定数が「当事者向け」に作られてはいないということであり、おっさんずラブも例に漏れないということではないか、と。

当事者のためだけにドラマを作れと言うつもりは毛頭ないのですが、この不平等な社会構造の中で、当事者の現実を軽視して男性同士の恋愛を描くことはあまりにもナイーブすぎると思うし、マジョリティによるマイノリティの消費の結果、「結婚」という言葉が軽く使われたりするのかなあと思うと、なんだかモヤモヤした気持ちになるのです。

 

もちろん、上で挙げた批判はおっさんずラブだけが悪いというよりも、結婚できないなどの社会の構造が前提おかしいという話なので、おっさんずラブだけを批判する気持ちもないのですが、せめて不平等な社会の構造の中で、その現実を無視しない姿勢だけでも見たかった。あなたたちと一緒にいるよって、それだけでも言って欲しかった。もしかしたらエピソードが進む中でそんな話も出てくるかもしれないし、おっさんずラブはずっと大事な作品なので、これからも見させていただきます。

愛と批判は絶対に両立すると思っています。だってほら、、、牧も春田のこと大好きだけど「家事ちゃんとして」とかめっちゃ注意してたし・・・・・・・・・・。

 

 

あああああああああああああアアアアアア!!!!

何も考えずに好きって言いたい!!!!!!!!!だってこんなにおっさんずラブのことを愛しているし、こんなにもおっさんずラブに救われている。なのにどうして、こんなにも苦しい。あああ日本の今の不平等な構造が憎い。不平等な構造の中でおっさんずラブは僕の一筋の光だったけれど、ときにその光はどこか眩しすぎて、僕(たち)じゃないどこかを照らしているように見える。

どうか、おっさんずラブの放つ光が、僕たちを正面から温めてくれると思える日が来ますように。そんな心地よい光は何よりも、春田と牧をいちばん温めてくれる光であろうと信じています。

 

 

 

※2024/1/7 2:06追記:

おっさんずラブの光の部分について、今回は僕自身が救われた話を主に書いていますが、現実の性的マイノリティに対する大衆の認知やイメージに大きな影響を与えた点も挙げられます。(その影響には負の側面もあったかもしれませんが、正の側面も大きかったように思います)

その点について改めて大大大感謝をしつつ、けれどもその「大衆化」の一方で、おっさんずラブが光を当て損なった部分があるのではないかという上記の内容自体は変わらないでございます、という考えを備忘として残しておきます。

 

※2024/1/7 23:28追記:

おっさんずラブの世界の中での同性婚の可否について、本作シーズン1で言及があったため補足として記します。シーズン1の第7話(最終話)で春田とその友人ちずの間で以下のやりとりが見られます。

 

(同性同士の結婚式についての話題の中で)

春田「よくよく考えるとさ、同性で結婚ってできんの?できないよな?」

ちず「うーん、でも今はパートナーシップ宣言とか色々あるし。それに式を挙げるのは自由じゃん?」

春田「そっか、そうだよな」

 

このやりとりから、おっさんずラブの世界での同性カップルを取り巻く法整備の状況は放送当時の日本と変わらないステータスであり、同性婚はできないがパートナーシップ宣言はできるという状況だということが見て取れます。(今も同じ状況ですが)

この点で現実に触れてくれているとはいえ、であればなおさらリターンズでの「結婚」が何を示しているかは触れられてしかるべきですし、いずれにせよ同性婚ができない状況で「結婚」という言葉を無邪気に使うことへのモヤモヤは本文で書いている通りです。