推しのアーティストのカミングアウトを受けてのゲイのファンの随筆

思い出を振り返ると、そこにはいつもAAAと與真司郎がいた。

 

(ここから数行の間めっちゃ喋るのでオタク以外には読めないインクで書いています)

高校の頃、友だちとカラオケに行くたびに「wake up!」を歌い、毎晩寝る前は「さよならの前に」を聞いた。「恋音と雨空」は定番すぎて逆に聞かなくていいなどとツウぶったり、ドライブに行くと決まって「winter lander!」を大音量で流して踊っていた。悲しいときは「wonderful life」を聴いて心を慰めたし、楽しいときは「good day」を聴いた。冬の街角では、肩を震わせながらきまって「perfect」を聴いたし、夏の日差しを感じた時には「love is in the air」をかけた。ノンケに片想いしてたときは「lil infinity」を聴いて愛することの素晴らしさを痛感したし、ノンケに振られた翌日は「day by day」を聴いて少しずつ大丈夫になっていった。あと最後のコンサートの札幌公演の「さよならの前に」の與さんのパートでぐちゃぐちゃになるほど泣いた。ちなみにあれって円盤化まだですか?10万までなら積めます。

與さんとインスタライブしてる気分になりたくて合成した写真を作っていた過去があります。

 

(ここから以下はちゃんと読んでね絶対ね)

 

7/26、夜にTwitter(Xとか言ってる場合ではない)のタイムラインを眺めていたら、とある投稿が目に入る。

その投稿には「與真司郎」と「ゲイ」という2つの単語が入っていて、僕の中であまりにもかけ離れていたそのふたつの言葉は、けれども同時にあるべき場所にあるように、雄弁に、同じひとつの文の中に同居していた。

「AAAの與真司郎、同性愛者だと公表」。呼吸を忘れるほどにひとしきり驚いて、けれども同時にすごく嬉しかったし、感謝の気持ちでいっぱいになった。(手紙全文はここから。是非読んでみてください。)

 

なぜ嬉しいのかはまだよくわからない。

同じゲイだからって、僕が嬉しくなる必要なんか別にないわけで、多分ほんとに勝手に、なんだか仲間だと思えて嬉しかったんだと思う。(とか言いながら高校時代の友人に数年ぶりにLINEして「與真司郎と付き合える可能性出てきたってこと????!?!」と伝えました、付き合えるわけねえだろうが!!!いい加減にしなさいねホントに。)

違う世界にいると思っていたアイドルと、急に自分の深い部分で繋がった感覚。ずっと好きだなと思って推していたアーティストが自分と同じセクシュアリティで、むしろ自分と同じセクシュアリティであること以外は何も重なることはないのに、ただその重なった部分が温かくて、誇らしかった。

例えば僕が苦しいとき、悲しいとき、孤独を感じたとき、與さんも同じ気持ちを経験したことがあるのかもしれないと思うと、それだけで、大きなものに包まれている気がした。

けれど同時に、與さんも「大きなもの」なんかではなく一人の葛藤を抱えた人間だということを知って、はじめて面と向かって、対等に、與さんのことを考えた。

 

與さん、これは僕の想像でしかないけど、きっと、きっと、幸せだったと同時につらかったこともあっただろうな。

他の芸能人でも未だにあるけれど、インタビューやファンクラブのQ&Aコーナーの恋愛に関する質問は異性愛者前提の質問ばかりで、それに楽しそうに答える與さんを見ていたとき、彼が同性愛者だとは全く思いもかけなかった。

その上AAAというグループは男女混同ということもあって、男女のカップリング文化がファンの間やときには公式においても有名だった。(ただ同時に、メンバー間では男と女というよりも、仲良しな家族・仲間のようで、それが僕にとっては心地よかったこともとても重要で、男と女が恋愛以外の形でつながる姿を見て、勇気をもらえたことも忘れたくない。)

さらに、與さん含む男男のカップリングもファンの間では有名で、実際のMCでも男同士で少しイチャつくような素振りを見せたり、それに対してファンが乗っかっているような場面がいくつもあった。
しかしこれらはあくまで「冗談」だからこそ成り立っている側面があり、あくまで両者が異性愛者であることを前提した上での「鉄板ネタ」の域を出なかったように思う。(おそらくあのとき、與さんが「本当に」同性愛者であると思いながら見ていた人はごくわずかだっただろうし)

それ以外にも、僕が気づかない場面で、自分の気持ちに蓋をしなければならなかったことはきっとたくさんあっただろうし、どんな気持ちだったかなんて、もはや想像すらできない。

手紙の中で「カミングアウトを決意する前は、2つの道だけしかないと思っていました。一つめは本来の自分を受け入れることなく、エンターテインメントの世界に居続けること。もうもう一つエンターテインメントの世界から退いて世間から隠れてひっそりと暮らすことでした。」と書いてくれた通り、どっちに行っても暗闇に迷いこんでしまう感覚がきっとあったんだと思う。

 

だからこそ、AAAという場所が與さんにとって心から安全だと思える場所だったかと思うと、想像だけど、おそらく、たぶん、きっとそんなことはないし、自分がファンの一人として(少なくとも)與さんに安全な場所を提供できていたかと訊かれると、答えに窮してしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

ファンのせいやAAAのせいにするつもりも、する必要もないと思うし、この問題は日本の社会全体の問題だから、特定の誰かがこの問題の責任を背負う必要も実はないのかもしれない(逆に、全員が背負う必要があるということでもあるよ)。

けれど、この問題から生まれた痛みを與さんがその一身に背負うことになってしまっていたと思うと、胸が痛む。
謝って欲しいなんて與さんが言っていない以上、僕がこうやって謝り続けるのもエゴでしかないから、今できることは與さんの言葉を一言ひとこと受け止めて、打ち明けてくれたことに感謝して、応援し続けることしかないんだろうな、と書いていてようやく思えてきた。

 

 

與さん、いろんなものを背負いながらここまで生き延びてくれて、ファンに向かって誠実に打ち明けてくれてありがとう。

今日も「みんな驚かせてごめんね。オレは世間からバッシングされるのはよくて、みんなが…友だちとかにいろいろ言われたりとか。」って言ってくれたけど、どうかお願いだから、謝らないで。今まで與さんだけに背負わせていた荷物、僕たちも一緒に背負わせてよ。

バッシングされてもいいなんか、言わなくていいんだよ。これまでもずっと自分との闘いがあったのに、やっとカミングアウトしたら世間との闘いがあるなんて、そんなの世間の方が全部間違ってるよ。一緒に闘うから、だからどうか、そんなこと言わないで。

何ができるかわからないけれど、ずっと応援するからね。僕が自分のセクシュアリティに気づいてどん底に沈んでいたとき、ノンケに振られて自暴自棄になりかけたとき、AAAや與さんの歌で救われたこと、ずっと忘れません。

(※あくまで僕の言葉であって、受け止めるのに時間がかかる人もきっといるはずだと思うので、これが正しい姿だと言うつもりはありません。)

 

まだまだLGBTQ+の人権保障がどうなるかもわからない日本の中で、(ロサンゼルスを拠点にして考えを深めてきたとはいえ)與さんのような人がカミングアウトしてくれたこと。それ自体が大きな光ではあるけど、與さんだけに光の役割を押し付けてはいけないから、僕も自分にできることをやります。

とりあえずクローゼットの奥からAAAのライブ用公式ペンライトを引っ張り出したら電池が切れていたけれど、新しい電池を入れたらまた、メンバーカラーの虹色に光り始めました。