(note過去記事)社会人2年目初日だから、出社前に鎌倉の海に行くしかなかった。

(note過去記事:2021年4月1日公開)

 

四月一日。エイプリルフール。社会人生活2年目の始まりの日。

心身の調子を崩して与えられた先週一週間の休み期間を経ているあいだも、社会は何食わぬ顔で息をしていて、僕も週明け、何食わぬ顔で「社会復帰」を果たす運びとなりました。おめでたい。

 

年度末が近づくにつれて、上司の口癖は「もう新人じゃなくなるんだし。」となり、2年目としての成長と自立を求められる季節が到来した今日このよき日、僕は、出社前に始発で海に行きました。

なんで海かというと、海は、目的がなくても行くことが許されている場所な気がしたからです。


社会復帰をして、2年目になる、めでたいのかも、めでたくないのかもわからず、言葉にされることを待っている感情だけが、ただ、胸の裏側でひっそりと、ゆらめいている、僕は、海に、行くしかない、明日、どうしても、行くしかない、とただそれだけの、絶望のようで希望のような気持ちを抱えて、3/31の夜、眠りにつきました。

前回の休みの時のような回復という明確な目的があるわけではないけれど、ただ明確な目的がなくったって海に行っていいと、そう思いました。
毎度、くだらない日常を開示してしまって恐縮ですが、以下、僕の一日におつきあいくださいませ。

 

4時、起床。

いつも通り身支度を整えて、黒のスーツに身を包み、ネクタイを結んだあと、仕事用の香水を首元に吹き付ける。家を出て、通りの街灯の明かりを独り占めし、「すこやかな人」全員がベッドの上で気絶しているこの時間に、駅までの道を歩く。

 

電車に乗ります。

 

電車には、すでに乗客が何人も座っていました。
大きな旅行用カバンを床に置いている人も、スーツを着ている人も、顔を真っ赤にしてうなだれている人も、全員この車両に乗っていて、ひっそりと目を瞑っている。全員の人生をのぞいて回りたい気持ちを抑えて、じっと車両を眺めてみる。一つの密室の中に、一日のはじまりとおわりが混在していて、期待と失望が隣り合わせに座っていて、ただただ静かで凶暴で、全員が、少し触れると壊れてしまいそうな危うさを持っている、思春期みたいな空間。

 

乗り換えます。

 

朝5時台の山手線は、そこそこサラリーマンもいて、全員正気を保ってそうな顔つきだけど、おそらく正気でない人もいた気がします。世界は誰かの仕事でできているし、我々は交代ばんこで気を失いながら、なんとか24時間をつないでいるのだなあ、とかなんとか思っていたら、女子大生グループが解散してバイバ〜イって言い合っているインスタのストーリーに映り込み、めでたく僕は「朝5時に電車に乗っている限界サラリーマンA」となりました。

 

乗り換えます。

 

5時も半ばの品川駅。録音された女性の声で駅のアナウンスが上下左右から同時に流れているけれど、この女性もきっと今この瞬間は、一つのからだを重力に委ねて、スヤスヤ寝ているだろうと思いました。

 

鎌倉行きの電車に乗り込みます。

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明け方の空気はよく青色だと言われることが多い気がするけれど、窓越しに目を凝らしてみると、どちらかというと紫色かなと思いました。
きっと今日電車に乗らなければ、明け方の空気は青色だろうと信じたまま死んでいたかもしれない。とはいえ本当に青か紫かどうかなんてどっちでもよくて、周りの声を取っ払って自分の目を凝らし、その結果僕が紫色だと思って感動すれば、それはもう紫色でいいんだと思いました。

急に何の話?

 

鎌倉駅に到着しました。

 

この駅、実は大学時代にサークルのみんなで海上花火大会を見に降り立った駅ですが、当時全くの無風で煙が晴れず、せっかくの花火がほとんど何も見えずに終了したという、僕が花火師だったら即海に身を投げ入れていたであろう悪夢の回でした。
けれど、僕たちはなんだかんだでそのさまを笑い飛ばし、いい思い出になったね〜なんて楽しい物語に仕立て上げられちゃってるわけだから、人間の物語る力というものはすごいものがあります。
多分、物語る力が弱まることを「老い」というのだろうね。

 

乗り換えます。

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ああ江ノ電江ノ電沿いに生まれていたら、僕はどんな人生だったんだろうか。きっともっと、柔軟剤を使わなくても何となく服からいい匂いがして、制汗剤を使わなくても不思議と汗から爽やかな匂いがして、少しくらいは猫と会話もできたりしたんだろうか。

 

午前6時半。目的地の「由比ヶ浜駅」に到着です。

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路地を5分くらい歩くと、途端に視界が開けて海が見えました。ああ、海だ。僕は出社前に、ひとりで鎌倉の海に来たんだ。

 

とはいえ、あと30分で帰りの電車に乗らないと会社の始業時刻に間に合わないので、早速少し小走りで砂浜をかけてみたり、マスクを外して潮風を吸い込んだり、ぼーっと波が生まれる瞬間をこの目に焼きつけたりしていたら、いつのまにか僕の体から香水の香りがしなくなっていたことに気づく。砂浜を踏みしめて、革靴のつま先に細かな砂をこびりつかせる。途中で雨が降って来たけれど、傘をさすほどではないので、整えた髪のことも忘れて雨に打たれてみる。

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散歩をする。

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始発で鎌倉に来るような人間からすれば、健康寿命を短くするとかはもうどうでもいいなと思いました。

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絶対にポイ捨てなんだけど、男梅サワーは「ずっと昔からここにいます」みたいな顔してるね

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誰だか知らんけど、エイミさん、お誕生日おめでとうございます。

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初心者マークってこういう感じで埋葬すればいいんだ。

 

ふう。

 

今から仕事に行くことが何だか滑稽で、何で働いているんだろうと押し寄せる波にきいてみるけど、当然無視をされる。

目的なく来たと言いながら実は、海に来たら救われるんじゃないか、この言葉にならない感情の卵を孵化させてくれるんじゃないか、何か劇的な答えをくれるんじゃないかと、どこかで期待していたけれど、全然何の解決にもなっていないし、押し寄せる波を見ていたら今日やるべき仕事を一つ思い出してため息をついたし、今日から2年目だと思い出した。

 

海はただ、どうしようもないくらいにそこにあるだけで、向こうから寄り添いにきてくれるわけではない。だけど、海の前だったら、どうしようもない悩みを抱えてもよかった、海は何も言わないから。前進したあと後退してもよかった、波は僕のことを悪くいえないから。ため息をついてもよかった、そのぶんだけ海の空気を吸えるから。
救われなかったけど、救われなかったことをちゃんと覚えていたいと思いました。いろんなことが嫌なまま来て、いろんなことが嫌なまま帰ってもいいのが、海です。

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帰りの電車に乗り込む。

 

帰りは通勤ラッシュに巻き込まれ、僕は「鎌倉在住で都心で働くサラリーマンA」として群衆に溶け込みました。行きと帰りの違いと言えば、電車の乗客が増えたことと、僕のスーツから香水に混じってほんの少しだけ潮の匂いがして、革靴のつま先に砂が付いているということくらいだったけど、それだけでいいと思いました。僕は、明確な理由もなく始発に乗って海に行ける人間だし、そこで救われることがなかったとしても胸を張って帰りの電車に乗れる人間です。

 

会社に着く。

 

通勤ラッシュに巻き込まれたせいで、潮の匂いはどこかへ消えて香水の香りが再び頭角をあらわし、革靴のつま先の砂も全て落ちてしまって、寂しいけれど、多分誰がどう見えても、僕がここに来る前に鎌倉の海に行ったなんて思うまい。絶対に言ってやらないもんね。ふん。この会社の誰も、僕が今日朝どこにいたのかを知らないのだと思っただけで、ほんの少しだけ無敵になったような気がしました。

とはいえ当然仕事は朝から夜までいつも通りあるので、何食わぬ顔で業務をこなし、何食わぬ顔で昼ごはんを食べて、何食わぬ顔で同期や上司と会話をして、何食わぬ顔で家路につきました。
不思議なもので、あんなに濃く焼きついたはずの思い出も、長く忙しい一日の中で擦り切れ、上書きされる過程でおぼろげになり、帰り道「本当に朝、僕は海に行ったのかな、あれはやけにリアルな夢だったんじゃないかな」とおぼつかない足取りで歩く始末。

 

そんな気持ちのまま家の玄関を開け、いつものように足だけを使って豪快に革靴を脱ぐ。そうしてひっくり返った革靴の土踏まずの部分には、わずかに残った細かい砂の粒が、玄関の蛍光灯に反射してキラキラと光っていました。

 

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